■昨晩のキャンディーズ田中好子さん追悼リクエスト大会の時にあまり呑まなかったので、朝すっきりと起床したのございます。
■ほぼ月一のペースにて受けている心理カウンセリングは本日9時から。最初のお話は雑誌「考える人2011年春号」の特集にて紹介されていた安泰寺のことについて。ざっくりとした要点はこちらに。檀家がおらず葬式もせず、外部からの収入源は托鉢と参禅者からのお布施のみ、自給自足をしつつ修行を行っているお寺、安泰寺。
■わたくしがとても興味を惹かれたのは、座禅による修行や寺院としての作務のほかに日々行っている自給自足のための農作業等々全ての生活行為の全般が『仏教の修行』であるとドイツ人住職さんが言われている事なのでございます。自給自足のメリットについて、住職のネルケさんは「命を噛み締める生活ができること」だと。生きている全ての事において自分が関わっていることを否応なく実感させられる、生活と修行とは離れたものではなくひとつに繋がったものだということなのです。
■『生きている全ての事について自分が関わっている』というのは現在の日本においてほとんどあり得ない、例えば様々なもの(工業製品、食料、食品加工品、衣服、等々)は生産・加工→流通→購入→廃棄・再生というサイクルにおいて高度(かな?)に分業化されてどこでなにが行われているか見えない状態で、でも見えなくても直接的には困らない、ほとんど気にもならないものになっていると思えるのでございます、それがよい事かどうかはわかりませんが。。。
■安泰寺での自給自足の精神は生産から再生までのサイクルが全て見える、全て自分達が関わっている。そこに、わたくしはある種の贅沢さや安心感を感じるのでございます。ただ、自分達が全て行うということは自分達のパフォーマンスが自分達の食生活に直接的インパクトを与えるということであり、日々生きるために全ての事に精進しなければならないということだと。。。それが生活を含めて『全て修行である』という事にわたくしが興味惹かれた点であり、共感出来るところでもあるのでございます。
■ゴールデンウィークに安泰寺に行き参禅したかったのですが、指定されている参禅日とあわず、スケジュールを調整していこうかと。
■この話は続くかも。。。
■カウンセラーさんとどんな話をしたのか、まったく書いていない。。。